春風館道場 稽古初めの儀 2 |
![]() この日、集まった春風館道場の門弟の皆様です。 |
春風館道場 稽古初めの儀 |
![]() 尾張藩の古式にのっとり、尾張藩主徳川義直公、流祖上泉伊勢守、宗家柳生石舟斎、柳生利厳先生、老師柳生厳周先生はじめとする、先師神戸金七先生、先人の方々の供養など儀式を行いました。 そして『目録』保持者の先生方による演武が行われました。 私も、春風館道場の所属で『目録』保持者でも有り、春風館道場に伝わる新陰流兵法、尾張貫流、円明流、その他の技が演武されました。 私共がおこなう、新陰流兵法『三学円之太刀、大太刀遣い』から初まりました。 |
元旦 稽古初めの儀 |
![]() 志道道、多治見道場の御弟子さんの皆さん達と、加藤園長、美川事務局長の参加され、心新たに年頭の稽古初め儀からスタートです。 また、御弟子さん達の修行のアップ、大会、奉納演武で活躍される事を願っています。 これから、彼らの活躍を目にする事だと思います。 |
第107回 全日本剣道演武大会 |
![]() 新陰流兵法 |
第106回 全日本剣道演武大会 |
![]() 新陰流兵法 |
居合道とは |
![]() 日本刀を使用し、攻防の心技を体得し、相手の動静に即応し、緩急自在、千変万化して、これを制することを居合と云う。 |
居合道と、呼ぶのは |
日本の兵法に流派が初めて起きたのは室町時代中期、応仁の乱(1467年〜1477年)頃に兵法の三大源流(陰流)が起きて以来、剣術(刀術)・槍術を表芸と云われ、抜刀術を裏芸(一般的には、見せない)と云われ、兵法修行がなされて来ました。 当時は、裏芸を抜刀術、居合術、早抜き、鞘の内、居相、抜合、等と各流儀により呼び方が違いました。 また、その他の専門兵法術理をあてて云いました。 江戸中期以降、殆どの流派は武術の一科目の如く専門的に修行をしてきた為と、激しい時代の変化により衰退した流派や、明治維新以降廃刀令により絶えた流派もありました。 また、昭和20年8月(1945年)太平洋戦争の敗戦国となり武道は全面的に禁止されたましたが、昭和27年(1952年)講和条約発効に伴い各武道は復活し、全日本剣道連盟が発足しました。 昭和29年(1954年)には全日本居合道連盟が結成されました。 当時は、各流儀の代表者が集められ、復活するにあたり国の世策のもと「居合道」に統一・指導されるようになったと云われています。 また、技前(わざまえ)も本来伝えられた各流儀(流派)ごとのものから、各所属組織団体のあり方やルールに沿うように変革がなされ、古流兵法が本来もつ特性から離れてしまい伝わっているように見受けられます。 |
道場・稽古日のご案内 |
![]() 日時 木 曜 日 19時 〜 21時 場所 志 道 館 岐阜県 大垣市島町254−2 (県営荒崎団地北) TEL 0584−91−4303 (志道館学園) 91−4304 (志道館接骨院) 多 治 見 日時 金 曜 日 19時 〜 21時 場所 多治見市総合体育館 3F・剣道場 岐阜県 多治見市大畑町2−150 お問い合わせは、 志 道 館 ・ 事務局まで。 または、各道場へ稽古日に御越し下さい。 興味のある方。 男女問いせん、未経験の方、歓迎いたします。 一度、見学に御出掛け下さい。 |
一本竹(胴竹)鍔 (柳生鐔) 新陰流兵法抜刀勢法(居合道) |
![]() 新陰流兵法においては、組太刀、抜刀勢法(術)、刀法(術)、短刀術、槍術、薙刀術、棒術、杖術、体(柔)術、兵法術、他等と共に伝え修行された総合武術の流派でした。そして、新陰流兵法はさまざまな武術、流派に影響を与え今日に至っています。 流祖上泉伊勢守秀網から、第二世・柳生石舟斎に新陰流の流儀(真体)が伝えられ、正統第三世柳生利厳(尾張柳生の祖)がへ、剣術・抜刀術・組太刀、槍などの極意を尾張柳生家、尾張徳川家に代々に正伝され、古流兵法のもつ特性を師範家へと厳格に教えが伝えられてきました。 新陰流兵法・抜刀勢法の技は、実戦的であり、一呼吸で行い、防御から攻撃に転ずる技・術理です。 一挙手一投足にいたるまで、隙がなく殿様居合と云われています。 一瞬にして抜き付けてしまう刀法術のため、相手が『参った』と云えば、あえてこれを斬らない『活人剣』である。 また、柳生制剛流居合には、陰流、新陰流、柳生流、新当流をも併せ正伝し、新陰流兵法系統図の移行を見れば解るように、新陰流兵法が円明流、真心流、柔術関口流、その外の諸流に多大な影響を与えて今日に至っています。 礼式は伊勢流礼法を司ります。または、爪甲礼を行います。 演武を行う場合は、紋付、袴、白足袋、角帯を着装し、下げ緒は結束をしません(流儀の教えに従い)。 正式な場においては、さらに脇差か前差しを帯び、袴は栽着袴となり、手にはユガケを着け、陣羽織をはおり行います。 また、古伝太刀勢法遣いする場合には、その時代に沿った着装をする事もあります。 |
波車(鍔) (柳生鐔) 袋撓い(ふくろしない)について |
![]() 当流儀では、現在も「袋撓い」を使い、柳生新陰流兵法修行を行っています。 また、剣道の防具の変革にも影響をあたえました。 「袋撓い」を「蟇肌竹刀」ともいいます。 全長は、1m程有ります。(自身が使う刀の長さぐらいが良いでしょう) 柄の長さは、21cm〜25cm程。(個人差が有りますし、袋の長さにもより違いが有ります) 中程まで八つ割り、又は六つ割りの竹を仕組み、この撓いの袋は鹿革か、馬革で包まれたものに朱漆で塗られたものです。(現在は牛革の物ですが) これは当時、上級武士・兵法者が旅をする際に、雨・風・塵・埃から刀を保護する為の「鞘袋」でした。 立ち合いや稽古を行う際には、それを利用し兵法修行されてきたのです。 袋撓いは、刀・木刀の代用品であり兵法修行に大革命をもたらし、各流儀の発展をさらにもたらし、防具の考案に促進していきます。 |